#20 Web3を巡る議論を考える
谷脇康彦(デジタル政策フォーラム顧問)
2022年11月18日
Web3が注目されている。Web3はブロックチェーン技術を使った分散型webの世界。Web3で何が実現するのか。その社会経済的なインパクトは何か。政策的な意味は何か。各方面でこうしたWeb3を巡る議論が始まっている。本フォーラム(DPFJ)においても、本年10月28日、Web3に関するセッションが開催された(本ホームページ(HP)においてWeb3関連パネルの動画[1]が視聴可能)。そこで本稿では改めてWeb3を巡る議論について、特に政策の観点を交えつつ、現時点での論点や課題を幾つか整理してみたい(筆者注:DPFJの第二期の検討[2]においては、こうした議論を継続していくこととしている)。
まずは、Web3を巡る議論について概観したい。webサービスは幾つかのステージを経て進化してきている。インターネット初期(1990年代以降)のWeb1.0では企業・個人が作成したHPを利用者が閲覧するという、情報の提供者から利用者に向けての片方向の情報の流れだった。まだ検索サービスは登場しておらず、ウェブサイトのイエローページなどが書物として販売されていた。続くWeb2.0の世界では、利用者もSNSへの投稿など自らが情報発信(UGC : User Generated Content)の役目を担うようになり、従来の提供者と利用者の間では情報が相互に行き交う両方向の情報の流れが生まれた。検索サービスやSNSの登場は、そもそも情報の提供者と利用者という垣根(区別)をなくす方向に作用した。しかし、web2.0はその後大きく変質していく。検索サービスやSNSサービスを担うプラットフォーマーが情報取引の結節点として機能するようになった。すなわち、広告配信を希望する企業とプラットフォーマーとの間の市場Aと、プラットフォーマーと利用者との間の市場Bの2つの市場を作り上げ、プラットフォーマーを介在者とする二面市場を作り上げた。市場Bにおいてプラットフォーマーは検索サービスやSNSなどの無料サービスを利用者に提供し、その対価として個人情報を大量に収集した。この個人情報の塊を利用して利用者の嗜好に合わせた(ターゲティング)広告配信サービスを企業に提供する市場Aの成長を促すこととなった。結果、市場Aと市場Bはプラットフォーマーを中核としつつ相互補完的に成長し、結果的にプラットフォーマーの巨大な市場支配力の確立(ビッグテックによる市場支配)、換言すれば「行き過ぎた集中」をもたらすこととなった。
この「行き過ぎた集中」に対して、欧州におけるデジタル市場法(DMA : Digital Market Act)に代表されるように各国の競争当局による競争法の見直しが行われている。具体的には、事後規制として市場支配力の濫用を是正する従来の仕組みに加え、一定の要件を満たすプラットフォーマー(ゲートキーパーとも呼ばれる)に対して事前規制を適用するという動きが出てきている。こうした制度的な対応とは別に、集中から分散という流れの中でテックコミュニティから出てきたのがWeb3[3]関連の動き。Web3はプラットフォーマーにデータを集中させるのではなく利用者自身がデータを記録する「分散化」の仕組みであり、記録されたデータは「透明かつ検証可能」な形で保持されるものであり、これを実現する上で基幹となる技術がブロックチェーン技術[4]だ。この仕組みを活用することで、これまでデジタル製品は複製が自由であるという性質がある中でNFT(Non Fungible Token)によって希少性を付与したデジタル財を流通させたり、仲介機能を介在させない送金などを可能とする分散型金融(DeFi : Decentralized Finance)、ブロックチェーン技術を活用した分散型の組織(”プロジェクト“という表現の方が適切かも知れない)であるDAO(Decentralized Autonomous Organization)などの具体的な取り組みが各方面で数多く展開されている。こうしたwebの進化についてweb1.0では“Read”機能(=片方向)しかなかったものが、web2.0では”Read & Write”の機能(=両方向)を有するようになり、さらにWeb3においては”Read & Write”に”Own(所有)”の機能が追加されると整理を試みる向きもある。ただし、”Own”といっても単に価値を所有しているだけではなく、所有する価値の移転を分散型で行うといった取引の概念なども含まれると考えられる。
次にWeb3とインターネットの関係性について見ておきたい。その背景には、「Web3はインターネットの在り方を根本から変える」といった論調が見られるものの、論者によって「インターネット」という言葉の定義が異なっており、結果として議論が混乱するケースがあるからだ。具体的には、インターネットを論じる場合、「パケット流通レイヤー(TCP/IP)」[5]に着目する場合とその上部の「データ流通レイヤー」に着目する場合があるが、Web3の場合、後者の「データ流通レイヤー」に関連付けられる。少数のプラットフォーマーによるデータ寡占が持つ弊害はこれまでも多々指摘されており、(前述のとおり)これに対応するための競争法の見直しなど各国で進んでいるが、これに加え、分散型のデータ(価値)流通の仕組みを作ろうというのがWeb3の動きであると捉えられる。ただし、データの分散流通それ自体が目的ではなく、あくまでデータのコントロール権を少数のプレーヤーから広く個人に開放しようという狙いがある。ちなみに、Web3における分散型データ流通網は、ソフトウェアベースで柔軟な改変が可能であり、かつオープン(公開)プロトコルによって誰もが参加可能であるといった特徴を持つ。他方、当面は安定したパフォーマンスの確保のための方策や、インフラ基盤となりうるだけのスケーラビリティを持つことができるかなど、検討すべき課題も多いとの指摘がある。
こうした中、現状においてWeb3の可能性については議論が二分されている。しかし、コンピューターの歴史においても集中と分散は繰り返してきた。例えば、メインフレームからオフィスコンピュータへとインテリジェンスが分散したものの、その後、クラウドによる再集中化が起こり、さらにエッジコンピューティングによる分散化の動きがある。その意味で、集中と分散は二項対立的なものではなく、集中から分散への流れを基本としつつも、両者のベストミックスを模索する動きが今後も継続していくのではないかと考えられる。この点、web2.0を提唱したTim O’Reilyは自身のブログで次のような見解[6]を述べている。具体的には、まず“テック産業はこれまで分散化と再集中化を繰り返してきたが、ビッグデータによって可能となる権力の巨大な集中化を予測できなかった”と指摘し、web2.0時代におけるプラットフォーマーのもたらした弊害を指摘する。その上で、“Web3の理想主義は好ましいものの理想が現実に結びついておらず、現状では先ずWeb3のビジョンのパーツに集中する時期だ”としている[7]。この論評は極めて現実的であり、Web3のコンセプトを語るには技術的進歩など、なお予見できない部分も多いことから、ブロックチェーン技術を使ったWeb3型の個別の事業モデルの開発に注力すべき段階にあると指摘している。
こうしたWeb3を取り巻く現状を踏まえつつ、今後の政策的な検討課題について何点か指摘したい。まだまだWeb3の方向性を見通すことはできないものの、まず、新しいWeb3型の事業モデルが多数生まれるよう制度的なあい路(既に税制などの問題が数多く指摘されている)の除去が望ましい。既存の法制度の見直しを行うとしてもWeb3の事業モデルそのものが現時点では見通せないものである以上、サイバースペース特区のように、Web3型の分散型事業モデルについては既存の法体系に抵触するものであっても事業構築を認めるような取り組みが考えられる。その際、サイバースペース特区の基本的な運用方針を国が定め、その方針に合致する範囲で民間部門が様々な事業モデルを志向する共同規制的アプローチを採用することも検討に値する[8]。また、Web3型事業モデルが多数出てくることで政策の予見可能性が低下するのかどうか、DAOの存在によって公共部門そのものの役割が相対的に小さくなる可能性があるのかどうか、Web3型事業モデルにおけるセキュリティ対策の在り方、国境を越えたWeb3関連ルールの整合性の確保など、様々な課題について引き続き検討を進めていくことが必要だろう。
[1] “デジタルリスクフォーラム2022—ちょっと先の面白いデジタル”(https://youtu.be/B-7Svn3iMBo)
[2] DPFJ「検討アジェンダ(第二期)」(2022年9月)(https://www.digitalpolicyforum.jp/wp-content/uploads/2022/09/agenda2.pdf)
[3] Web3はweb3.0と記載されることも多い。これは過去のweb1.0やweb2.0との連続性を考えたものと考えられるが、web3.0はTim Bernars-Leeが提唱したsemantic webのことを指す場合があるため、両者の混同を避けるため、本稿ではWeb3と呼称している。
[4] 分散台帳技術(DLT : Distributed Ledger Technology)と呼称される場合もあるが、正確には両者は同一ではなく、DLTの一つの方式がブロックチェーン技術であると理解される。
[5] パケット流通レイヤーに関しては、2019年9月、中国ファーウェイがITU(国際電気通信連合)において”New IP”を提案した。その理由として、同社は、今後IoTの普及・進展に伴って幾何級数的にネット接続されるモノが増加し、パーミッションレス(自律・分散・協調)なインターネットでは十分な管理ができなくなることが懸念されるとして、国によるインターネット統制権(サイバー主権)を認めるトップダウン型の”new IP”を提案した。この提案について、2020年3月、TCP/IPの技術基準であるRFCを定めるIETF(Internet Engineering Task Force)は現行のTCP/IPを見直す理由は見いだせないとして”New IP”を全面的に否定する声明を発表した。(詳しくは拙稿コラム「インターネットガバナンを巡る国際的議論」(2022年4月15日) (https://www.digitalpolicyforum.jp/column/220415/)を参照されたい。
[6] Tim O’Reily “Why it’s too earlyto get excited about Web3?,” (December 13, 2021) (https://www.oreilly.com/radar/why-its-too-early-to-get-excited-about-web3/)
[7] 引用部分は原文の趣旨を損なわない範囲で筆者が要約。
[8] 市場環境が激変する中で政府の規制の在り方についてルールを具体的に定める”rule-based” アプローチが望ましいか、あるいは原則のみを定める”principles-based”アプローチが望ましいか、あるいは両者のアプローチをどのように組み合わせることができるかという議論が存在する。例えば、OFCOM “Rules-based versus principles-based regulation-is there a clear front-runner?” (August 2021) (https://www.ofcom.org.uk/news-centre/2021/rules-versus-principles-based-regulation)を参照されたい。