#19 インターネットを巡る”国家主権”と”サイバー主権”
谷脇康彦(デジタル政策フォーラム顧問)
2022年9月2日
2015年6月に開催された国連のサイバーセキュリティ関連の政府専門家会合。サイバー空間への国際法の適用関係について一定の合意がなされた。その文書[1]では「各国(States)は国際法に定める原則の中で、国家主権(State sovereignty)、平和的紛争解決、内政不干渉という原則を遵守しなければならない」としている。ここで重要なのは「国家主権」という言葉の意味だ。
欧米各国や日本といった旧西側諸国からみれば、リアル空間はサイバー空間に投影されるものであって両空間を区別する特段の理由はなく、既存の国際法はサイバー空間にも当然に適用される。したがって、サイバー空間においても現行の「国家主権」の考え方が適用されると解される[2]。これに対し、中国は「国家主権」を「サイバー主権(cyber sovereignty)」と位置付け、国(のみ)が自国内でサイバー空間を積極的に制御することを認められるという立場をとってきた。
現在、インターネット関連技術の標準化を行うIETF(Internet Engineering Task Force)やインターネットのアドレス管理等を担うICANN(The Internet Corporation for Assigned Names and Numbers)は、政府のみならず大学等の研究者、企業の技術者を含むマルチステークホルダ主義での意思決定を原則としてきている。マルチステークホルダ主義(multi-stakeholderism)において、政府は意思決定に関わる当事者の一人に過ぎず、政府が全体方針を単独で決定することはない。インターネットとはあくまでマルチステークホルダ主義を前提としてこれまで民主的プロセスの中で発展を遂げてきたものであり、政府が当事者の一人に過ぎないということ、すなわち国家主権に制約があるということには合理性がある。その背景には、国家主権を100%認めることは表現の自由や報道の自由に公的権力が介入する根拠を与えるおそれがあることや、インターネット関連技術は政府の規制の外にあったからこそ社会基盤になるまでの発展を遂げてきたということが挙げられる。
これに対し、中国やロシアは「サイバー主権」に基づき国がインターネットをきちんと管理すること(管理という言葉は、ネットを流通するコンテンツに対する直接規制も含まれる意味で使われることが多い)が国の権益として国際的に認められるべきであると主張する。重要なのは「内政不干渉」や「平和的紛争解決手段」という原則は国と国の関係に適用されるべきものだということだ。米国の民間組織が中国の政策を批判したとしても中国政府が直接的に「内政不干渉」としてこの米組織を非難することはないだろうし、まして中国政府と米組織との間で「平和的紛争解決手段」が採用されることもない。あくまでこれらの原則は国際法、つまり国と国の関係に適用されるルールだということだ。すなわち中国のサイバー主権はマルチステークホルダ主義ではなく、マルチラテラル主義(multilateralism)を基本とするという考え方に立っている。
そしてその考え方に立脚すればIETFやICANNのガバナンスがマルチステークホルダ主義に依拠することは、「サイバー主権」の原則に反するということになる。Sherman[3]が指摘するように、中国はこうした事態を是正するために国連機関であるITU(国際電気通信連合)をインターネット管理組織として位置付けることを提案している。ITUは各国で使われる周波数割り当てに関する国際調整、通信網及び端末設備の技術標準化、途上国における電気通信網の整備支援などの分野で活動しているが、各国が国家の規模にかかわらず一票を投じる一国一票制が保障されており、民間組織がITUの決定に関与することは想定されない。つまり、インターネットガバナンスに関する議論をITUに集約するという中国の主張は、マルチラテラル主義を採用しマルチステークホルダ主義を排除することでインターネットの管理(規制)を国(政府)そのものに限定し、国際的な取り決めにおいても途上国を含む一国一票制の元で運営すれば米国主導のインターネットから脱却できる、ということを狙いとしている[4]。
こうした考えは、2022年2月に中国とロシアが発表した声明[5]にも明確に示されている。この声明において、「両国(注:中国及びロシア)はインターネットガバナンスの国際化を支持し、各国がガバナンスについて同等の権利を有していることを確認し、インターネットの国内セグメントを規制することで国内の安全を確保する主権的権利を制限しようとするいかなる試みも容認できない」という立場を共有しつつ、「これらの問題に取り組む上でITUがより大きく参加することに関心がある」としている。
米国はこれに対抗的な動きをみせている。2022年5月、米国政府が主導する形で日本や欧州各国を含む60か国・地域の連名で「未来のインターネットに関する宣言」[6]が発表された。宣言の前文では「デジタル権威主義的な潮流において、一部の政府が表現の自由を制限し、独立したニュースサイトを検閲し、選挙を妨害し、偽情報を拡散し、その他市民の人権を否定する行為を行なっている」と現状認識を示す。その上で、人権や基本的自由の保護、グローバル(分断のない)インターネット、包摂的で利用可能なインターネットアクセス、デジタルエコシステムに対する信頼、マルチステークホルダーによるインターネットガバナンスという5項目を堅持すべき原則として掲げている[7]。
インターネットガバナンスの議論は長年にわたって続けられてきたが、サイバー空間における脅威の高まり(サイバー攻撃の深刻化)、一部の国におけるインターネット規制の導入などを背景に、「国家主権」という言葉を従来の伝統的な意味で解するのか、それともサイバー主権という別の概念で考えるのかという問題を提示するようになった。これは「マルチステークホルダ主義」か「マルチラテラル主義」かの選択の問題であり、そのいずれを採用するかによって各国のインターネット規制の態様が大きく違ったものになる。つまりインターネットガバナンスの議論は国家体制のあり方そのものと密接に関連している。そして、ロシアによるウクライナ侵攻における「ハイブリッド攻撃」(武力攻撃と相前後して観測されてきたDDoS攻撃、フェイクニュースの流布、ネット統制[8]などが含まれる)を目の当たりにする中、こうした議論の緊急性が高まっている。2023年12月には日本でIGF(Internet Governance Forum)が開催されるが、開催国としてどのようなイニシアティブをこの分野で発揮できるのか。マルチステークホルダー主義で国内の議論を加速させたい。
[1] UN General Assembly, Group of Governmental Experts on Development in the Field of Information and Telecommunications in the Context of International Security (June 2015)。なお、国連におけるサイバー空間のあり方を巡る議論は、国連における安全保障関連の議論の一環として政府専門家会合(GGE)が設けられたことが背景にある。なお、本合意以降もGGEにおける議論は継続されているものの顕著な議論の進展は見られていない。
[2] 旧西側諸国においては、現行の国際法をサイバー空間にどのように適用すべきかという議論が様々な場で行われている。その代表例がNATO / CCDCOE(Cooperative Cyber Defense Center of Excellence)が有識者で構成する検討グループの見解(NATOの公式見解ではない)を整理した「タリン・マニュアル(Tallinn Manual)」(2013年3月、2017年2月に改訂版「タリン・マニュアル2.0」を公表)である。マニュアル1.0では「有事・戦時」を対象にしているが、マニュアル2.0では「平時」におけるルールについて検討の視野に加えている。なお、2021年から5か年計画でマニュアル3.0の策定に向けた検討が開始されており、マルチステークホルダ主義など新たな課題についても検討を深めることとされている。
[3] Justin Sherman “China’s War for Control of Global Internet Governance” July 2022, SSRN [https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=4174453]
[4] マルチステークホルダ主義とマルチラテラル主義の相剋については、例えばJacob Hafey and Dana Poponete, “How the War in Ukraine Will Shape the Future of the Internet,” March 2022, Access Partnership [https://www.accesspartnership.com/how-the-war-in-ukraine-will-shape-the-future-of-the-internet/]を参照されたい。
[5] “Joint Statement of the Russian Federation and the People’s Republic of China on the International Relations Entering a New Era and the Global Sustainable Development” (February 4, 2022)
[6] US Department of State “Declaration for the Future of the Internet,” (April 28,2022) [https://www.state.gov/declaration-for-the-future-of-the-internet]なお、60か国・地域にはトルコや韓国は含まれておらず、ロシアまたは中国との外交的関係に配慮している点が窺われる。
[7] 2022年6月に開催されたG7エルマウ・サミットにおける合意文書” Resilient Democracies Statement”(参照URLは本文書の外務省仮訳)において「世界的に民主的社会の強靭性を向上させるための国際協力を強化する」として、開かれた多元的議論を守るためのサイバー環境の整備に触れている。インターネットガバナンスのあり方は民主主義の将来と密接に関連しているという考えが底流にある(本文書はG7参加国に加え、アルゼンチン、インド、インドネシア、セネガル、南アフリカが賛同者として名を連ねている。)。 [https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100364065.pdf]
[8] ロシアはウクライナにおける占領地域において自らのサイバー主権として当該地域のインターネットをロシア国内に接続させ、ソーシャルメディアの規制などロシア国内と同様の規制を適用している(平和博「”インターネットを囲い込む”ロシアがウクライナ占領地を分断、その狙いとは?」(2022年8月17日)。 [https://news.yahoo.co.jp/byline/kazuhirotaira/20220817-00310342?fbclid=IwAR08lSy7oh1Zlk0wAKvWkl3_NIDY7zWG2iqx7QI4Ii-pc8y_oQcqZLcQDYI]