【特集 デジタルガバナンスの未来】
大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 機構長
東京大学 特別教授
1983年東京大学大学院工学系研究科情報工学専攻博士課程修了。データ工学の研究に従事。東京大学地球観測データ統融合連携研究機構長(2010-2013年)、国立情報学研究所所長(2013-2022年)などを経て、2023年より情報・システム研究機構 機構長。また2021年より東京大学特別教授、2023年より東大デジタルオブザーバトリ研究推進機構長。情報処理学会会長(2013-2014年)、日本学術会議情報学委員会委員長(2014-2016年)などを務める。ACM SIGMODエドガー・F・コッド革新賞(2009年)、情報処理学会功績賞(2010年)、全国発明表彰「21世紀発明賞」(2015年)、C&C賞(2015年)、IEEE Innovation in Societal Infrastructure Award(2020年)、電子情報通信学会功績賞(2019年)、日本学士院賞(2020年)などを受賞。紫綬褒章(2013年)、レジオン・ドヌール勲章(2016年)を受章。ACMフェロー、IEEEライフフェロー、中国コンピュータ学会栄誉会員、電子情報通信学会名誉員、情報処理学会名誉会員。
■ この章の問題意識 ■
現実空間とサイバー空間が一体化するCPS(Cyber Physical System)が現実化し、リアル・サイバーの垣根を超えて自由に膨大なデータが流通するデータ駆動社会が到来しようとしている。データ駆動社会ではデータの機密性(confidentiality)・完全性(integrity)・可用性(availability)という3つの要素を確保することが決定的に重要になる。しかし、これを実現するためにデータという無形資産をどのように取り扱い、管理することが求められるのか。データ駆動社会において重要性を増すデータガバナンス(技術、制度、運用)のあり方については幅広い観点から議論する必要があるが、その際、どのような視点でとらえるべきか、検討すべき論点としてどのようなものがあるか、国際的な議論を進めていく上で留意しておくべき事項は何か――データガバナンスを巡る様々な論点を提示しつつ、今後の議論の方向性について展望する。
聞き手=谷脇 康彦 デジタル政策フォーラム 代表幹事
データ駆動社会に最も大切なのは「ぬくもり」
谷脇 データの生成・流通・蓄積・解析を通じて社会課題の解決を目指す「データ駆動社会」という考え方があります。進化するデジタル技術と膨大なデータを最大限に活かし、世界的に進む少子高齢化をはじめ様々な課題解決のためのソリューションを生み出すことが可能になることが期待されます。現実世界とサイバー空間の区別がなくなり一体化するサイバー・フィジカルシステム(CPS : Cyber Physical System)の中でデータ流通を促すことで、現在の社会経済システムそのものも大胆な転換が迫られるのかもしれません。データ駆動社会では「データ」というものを技術、制度、運用など様々な側面から「ガバナンス」することが必要となりますが、そこで最も重要なことは何でしょうか。
喜連川 優 大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 機構長
喜連川 具体を知り、具体を議論する――そういうことではないですか。具体というのは、もちろん人間のことですよ。谷脇さんも僕もだんだん歳をとって分かってくることは、ITも、デジタルも、データも一番大切なのは“臨床”だということだと思います。
基礎医学はもちろん重要なんだけど、何のために医学があるかと言えば、苦しんでいる「人」としっかり向き合うことが一番です。診察室に患者さんが入ってくるとき、向き合って座ったとき、不調を話し始めたとき、どんな姿勢で、どんな顔つきで、どんな調子で話すのか。手術して退院するとき、「お大事に」とかけた言葉に返ってくる声の張り・・・。そういったものを全部をひっくるめて全人的に診ることが、医の本質でしょう。
データ駆動社会もそれと全く同じで、我々人間が本質的に求めるもの、価値観というか充足感みたいなところから入っていかないといけない。データとテクノロジーばかり見て人間を見ないなんてことになったら本末転倒ですよ。「デジタルだ」「データだ」と人間より前に出張るなんて品格のないことであって、もっと控えめにやりなさいよと(笑)。一番大切なのは、「ぬくもりのある社会」を目指すことだと思うんです。デジタルが前に出過ぎたプロジェクトはだいたい失敗していますよ。それを使う人間にとって何の御利益があるのか、何のためにやるのかという視点が欠落しているためにうまくいってない例がてんこ盛りなんですよ。
新型コロナウイルス感染症への対応策として最初の緊急事態宣言(2020年4月7日)が発令される前の3月に、当時僕が所長を務めていた国立情報学研究所(NII)と旧7帝大の情報基盤センター長等が協力して「4月からの大学等遠隔授業に関する取組状況共有サイバーシンポジウム」を緊急開催しました。「教育機関DXシンポジウム」と名前を変えて現在も続いています[1]。当時は、ZoomやWebexを使ったオンラインシンポジウムの運営経験が乏しく、NIIのスタッフは怖気づいていたのですが、「誰がやったって失敗するんだから、僕らが先頭きって失敗したらいい。みんな、4月からの講義をどうやったらいいのかわからずに困っている。そんな大学や学校でITを支える人の気持ちを汲んで“初めてでもこのくらいはやれるよ!”というのを紹介すれば、失敗してもとても喜んでもらえるはず」と言って押し切りましたよ。その結果、膨大な数の感謝の声が届きまして、人生で初めて褒めてもらいました。研究者なんてまず褒められませんから、とても戸惑いました(笑)。
国内各大学の取り組みのほか、海外の状況についても調べが進んでいきました。さすがアメリカだなと思ったのは、コロナ禍による環境変化が子供たちの学習スピードにどのような影響を及ぼすか、きちんとデータを取っている大学があったのです。対面と遠隔を比べると、小学生は圧倒的に対面の方が良くて、中学生になると遠隔でも学習効果が上がるといったことを定量的に把握し、そうしたエビデンシャルなデータが判断材料として活用されていました。学ぶ子供を中心に据えた教育のデータ駆動が実践されていたのです。このシンポジウムをきっかけに政府の教育再生実行会議に呼び出され、「デジタル化を進めて、データ駆動型の教育に転換すべきだ」と主張したら、第十二次提言の冒頭にほぼそのまま採用されました[2]。
自分でも調べて勉強しましたよ。アメリカでは、教育省が「EDFacts」[3]というイニシアティブを通して全米の幼・小・中・高の情報を一元的かつ網羅的に収集し、分析し、活用する取り組みを推進しています。州ごとに収集しているパフォーマンス・データも比較・分析できるようにしています。
良い取り組みなのでいろいろなところでの講演で紹介するのですが、日本の教育関係者でEDFactsについて知っている人はとても少ない。データ駆動社会を目指すという理念・理想は素晴らしくても、そこにたどり着けていない分野がいくつも残されていることを強く感じました。分野横断的なデータ連携が連呼されていますが、そもそもそれ以前の問題で、まずは一つひとつの分野をデータで駆動させることから始めなければなりません。国の未来を支える子供たちを育てるという最重要の教育分野ですらそのような状態だという現実を、まずは冷静に直視すべきでしょう。
さらに、データ駆動社会を創ろうとする我々への示唆が二つあると思います。
一つは、「比較すること、比較されることを嫌う文化」を見直すべきだということ。日本社会は、あからさまに比較すること、されることを著しく嫌いますよね。A県とB県、X市とY市というように比べられ、高低、優劣がつけられることを極度に嫌がるがために、そもそものデータが集まりにくい。EDFactsは、全ての州、全ての学校からデータを集めて比較・分析がなされています。この違いは根が深いと思います。好成績なところに学ぼうと芳しくない学校が見に行くのです。
もう一つは、データ云々の前に、日本という国として何に重きを置くのかという原点となる議論を深めるべきだということです。遠回りに思われるかもしれませんが、データ駆動によって社会を発展・進歩させたいと心底願うのなら、この議論を避けて通ることはできないはずです。
問題の本質は「データ」とは別のところにある
谷脇 霞が関でもEBPM(Evidence Based Policy Making、証拠に基づく政策立案)が推進されています。確かに政策立案に本当に役立つデータというのは意外に少なかったように思います。
谷脇 康彦 デジタル政策フォーラム 代表幹事
喜連川 逆なんですよ。今あるデータを解析しようとするんじゃなくて、データは作らなあかんのです。データを持っている企業に擦り寄っていって「データサイエンスをやりましょう」なんて体裁だけ整えるのではなくて、本筋として自分たちがやりたい政策があって、それを実現するためのデータをどうやって作るかということを考える。そういう順番が大事なんじゃないんですかね。
僕はずっと「データのデザイン」が重要だって言ってるんですけれども、そういうところに行き着けていないですね。今あるデータを手っ取り早くAIを使って分析してみるということよりも、もっと底辺のところからデータを作り上げていく発想が必要なのではないかな。データ駆動社会って、一足飛びに解けるような簡単な問題ではないんですよ。遠回りのように見えても基礎からきっちり積み上げていくこと、表層ではなく現場にいる人間の深層に立ち戻って考えること、問題を具体的に掘り下げること。そういうことが必要なんじゃないですかね。データというものを長年研究していると、問題の本質はデータそのものとは全く別のところにあるというのが僕の印象なんですよ。
例えば、スマートシティってよく言われるけど、スマートシティで本当に成功している所、ないんじゃないですか。ヨーロッパもやってます。アメリカもやってます。NSF(National Science Foundation、米国立科学財団)が、Smart and Connected Communities program(S&CC)というプログラムを立ち上げて毎年訪日団を送ってきたので、いろいろと議論する機会に恵まれました。アメリカの話を聞き、日本の話を聞かせるうちに、僕が言ったのは「シティは黙っていても発展していく。ケアしなければいけないのはノンシティの方ではないのか」ということでした。「アメリカは何かそんなこと考えてるの?」と聞きましたが、しーんとしてました。
だって、能登半島地震の後を見たってそうじゃないですか。発災から何カ月経っても、なかなか復旧が進まないのは、地方で、人が少なく、予算が乏しいからですよ。でも、そこをなんとか考えるのが一番難しいし、一番重要なところでしょう。問題の本質は、便利でお金の有るシティをもっとスマート化することよりも、不便でお金の無いノンシティーをどうするかについてスマートに考えることですよ。どうも最近、流行語に流されやすいというか騙されやすいというか、物事の本質を議論する時間があまりにも足りない気がします。
「追い付こう」と思った瞬間に負け
谷脇 残念ながら、今の霞が関にその余裕は無いと思います・・・。
喜連川 なぜ余裕がないのか――。一番の理由は、何かが出てくるのを待って、よく考えることもなく、ただ追いつかなければと考えてしまう思考パターンにあるのではないでしょうか。流行っているものに惹かれて感染症対策の予算が削られて、日本は新型コロナウイルスの国産ワクチンを一番必要な時に作ることができなかった。アジアの国々は日本に期待していたにも関わらず、その期待に応えることはできませんでした。最近では生成AIで大騒ぎになっていますが、同じようなことを繰り返すのではないか心配です。
僕たち研究者は、「追いつこう」と思った瞬間にもう負けなんです。他の研究者と同じことは絶対やらないという覚悟が我々の矜持なのです。「霞が関にその余裕はない」とのこと。霞が関が研究者と同じ思考法では国が動いていかないでしょうが、それにしても有限なエネルギーを本質的ではないところに無駄に吸い取られているような気がします。
谷脇 先生のお話を伺っているとアメリカの例がよく出てきます。データ駆動社会の本質をとらえていくためには、アメリカを参考にすべきなのでしょうか。
喜連川 アメリカが全て良いわけではないけれども、イノベイティブにシステム全体を大胆に変えていく発想力と実行力は素直に見習うべきです。計算機工学をやってきた僕らから見たらAppleはそんなにたいそうなことをやったとは思わないけれど、iPodというハードウェアにiTunesというソフトウェアを組み合わせ、背後では著作権処理と商取引の仕組みを整え、巨大なグローバルステムをパッケージで創り上げたことは、やはり画期的でした。
対するEU(欧州連合)は何をやっているかと言えば、アメリカが何か新しい価値を創ったら、自分の市場に攻め込まれないようにルール作って守るということでしょう。ルールメイキング、ガバナンスに長けていると言えば聞こえは良いけれども、必死に頑張って追い付こうとするわけでもない。負けを前提とした守り一徹の戦略から日本がどれだけのことを学べるのか疑問に思います。
谷脇 でも、日本はどちらかと言えば欧州の方を見ていますよね。実際、デジタルサービス法(DSA : Digital Services Act)やデジタル市場法(DMA : Digital Market Act)、それにデータ法やデータガバナンス法、さらにはAI法の制定に至るまで、データ関連の分野でも欧州の動きが活発です。
喜連川 負けを前提とするなら、その方式しかないでしょう。どこかの国が研究しているのを横目に見て、成果が出たらパッと飛びついてモノやサービスを作って売る、という考え方もあるとは思いますよ。でも、己(おのれ)の力で何かを産み出すという気概は大切にしたい、と僕は思っています。アメリカの例を引くのは、そういう意味でアメリカ以外に良い例がないからであってね。「EUに追いつくことが日本の道だ」なんて安易に考えない方がいいと個人的には思います。これに関しては多様なご意見があろうかと思います。
谷脇 アメリカのGAFAが世界を席捲すると、「なぜ日本はGAFAを生み出せないのか」という話になります。EUがルールメイキングで先行すると、「ルールメイキングで後れを取るな」という掛け声がかかります。米欧を後追いする日本の体質は、変えることができるでしょうか。
喜連川 「これが正解」ということは言えませんが、「後追い」ではなくて「先駆ける」ということをエンカレッジすることが物凄く大切になってくる気がしますね、これからの時代は特に。例えばGoogle検索にヒットしやすくするためにSEO(Search Engine Optimization、検索エンジン最適化)対策に躍起になるみたいな、他国の製品やサービスを「Given」として自国をいかに器用に「Adjust」させるかということが当たり前になっているとすれば、非常に危機的だと思います。最近話題の生成AIもそうですよ。物まねでない、借りものでない、日本ならではの「AI戦略」を本気で描いてやるという気概が希薄です。
小生はNIIを退任する前に1,750億パラメーターのモデルを作るには、何十億ものCPUコストがかかるので、これは「大学共同利用機関がやるべき、まさにどんぴしゃりの研究サービス」と、当時の次期所長(即ち黒橋現所長)に提案しました。それが、LLM-jpという活動になっています。うわべで触っても分かるには限界がある。自分で作るのが最短の道だといつも考えています。
ちゃんと考えていない――。これが、日本の根源的な問題なのではないでしょうか。「後追い」から「先駆け」へのコペルニクス的発想転換が必要だと思います。
原点議論のための場づくりを
谷脇 ちゃんと深く考える必要があるという意味では、大学、アカデミアが果たすべき役割、かかる期待が非常に高まっているように思いますが、いかがでしょうか。
喜連川 霞が関に考える余裕がないというなら、そりゃアカデミアの出番ですわ。日本がどのような道を進むべきかという重大なテーマに対して、異なる視点、新しい視点を提供して、建設的にディベートできる環境を作ることに貢献すべきです。さっき言ったみたいに、データ云々も大事ですけど、人々が感じる「ぬくもり」とか「倫理感」とか、そういうデジタルでないものをどう融和していくのか――。理工学部の人たちだけじゃなくて、法学部や経済学部の人たちにも、僕はそういう議論をふっかけています。農学部の人には、食糧安全保障が日本としてのファーストプライオリティの一つじゃないのか、そういう視点で研究しとんのかってね(笑)。
まじめな話、そういう原点の議論をする場が日本に無いことが一番の問題なんです。データ駆動社会という、とてつもない大変革を起こそうというなら、データ共通のフォーマットがどうのこうのよりも、もっと根源的な社会の問題をデジタルでどうしたいんやという議論を、抽象論ではなくて個別具体的に重ねていくこと。そういうところに超優秀な人材を当てていくというのが、国家戦略としての最優先事項だと思います。
先ほど「なぜ日本はGAFAを生み出せないのか」という話がありましたけれど、そうそう簡単にポンポンと出るわけがないんですよ。アメリカだって地道に研究してきたんです。真に画期的な研究成果が出るのはせいぜい20年に1回程度でしょう。そのくらいの頻度で天才的な人材が出てくるわけです。何を変えるべきかというなら、まずは大学そのものを変えなきゃいけないでしょう。国立大学は定員が厳しく、東京大学でも情報系の学生数は長年大きくは変わってないんです。こっちを増やせば、あっちが減るということで減る側が反対します。定員システムが硬直化してしまっている。こういうことを一つずつ掘り下げていって、みんなで考えて、どんどん変えていくことからです。
谷脇 若い人たちをどうすればモチベートできるでしょうか。
喜連川 データ駆動社会の視点で言えば、データをどんどん提供して、自由に使ってもらうことが一つ。最近は、大学の若手の先生に「研究費か、データか」と提示すると「データ」を選ぶ人が多いんです。良質なデータがあれば良い論文が書けるからです。ちょこっと科研費をもらっても、あっという間になくなってしまいます。大学、企業、政府が協力して日本の将来を考えるためのデータを整備して、頭の柔らかい若手研究者が自由に使ってもらう。そういう環境を作ることが、国を豊かにしていくのではないでしょうか。
なんでもかんでも「国がやれ」「国が悪い」ばかりでは、ただでさえ忙しい国からますますエネルギーを奪うだけで、ろくなことになりません。利害関係にまみれないよう政・官・民と少し距離を置いて、どうすれば日本を良くできるか、データ駆動という理想に近づけるか、ぬくもりのある社会を築けるかということを真剣に議論する場づくりが大切だと思います。そういうムーブメント形成がデジタル政策フォーラムに課せられた役割なのでしょうね。一番大切なことは、誰かにやらせるというマインドを捨てて、「自分が」やることだと思います。
谷脇 とても重い宿題をいただきました。ありがとうございました。
【対談を終えて】
この対談ではデータガバナンスを全体的なテーマとして想定していたが、実際にはデータガバナンスを入り口としつつ、より本質的な課題が示された。具体的には、何のためにデータ駆動社会を目指すのか――データ駆動社会で実現すべき本質的な価値観を突き詰めて考えることの重要性について問題提起がなされた。データ駆動というのはあくまで手段であり、データ駆動によって何を実現したいのかという問題意識を持ちつつ、単なる既存データの横連携だけでなく、問題意識に適ったデータの生成を進めることが必要だ。またデータ駆動社会の実現は社会システムそのものの変革をもたらすものであり、米国においてはイノベイティブにシステム全体を改革していく、いわば「仕掛け作り」の試みが多い点が参考になるという指摘も重要だろう。今後、デジタル政策フォーラムにおいてデータ駆動社会の実現に向けて議論を進めていく上で大いに参考としていきたい。(谷脇)
<参考情報>
[1] 「教育機関DXシンポ」過去開催一覧
https://www.nii.ac.jp/event/other/decs/past.htmlf
[2] 第十二次提言「ポストコロナ期における新たな学びの在り方について」、首相官邸、2021年6月
https://www.kantei.go.jp/jp/headline/kyouikusaisei2013.html#kyo20
[3] The EDFacts Initiative 、U.S. Department of Education
https://www2.ed.gov/about/inits/ed/edfacts/index.html