第6章 デジタル技術×教育の可能性
慶應義塾大学大学院 メディアデザイン研究科 教授
東京大学工学部卒業後、MITメディアラボ客員研究員を経て、CANVAS、デジタルえほん、超教育協会等を設立、代表に就任。総務省情報通信審議会委員など省庁の委員やNHK中央放送番組審議会委員を歴任。デジタルサイネージコンソーシアム理事等を兼任。政策・メディア博士。
著書には「子どもの創造力スイッチ!」、「賢い子はスマホで何をしているのか」をはじめ、監修としても「マンガでなるほど! 親子で学ぶ プログラミング教育」など多数。
■ この章の問題意識 ■
e-Japan戦略が策定されたのは、2001年1月だった。それから、20年以上が経過して、デジタルはエネルギーや食糧と並んで、自給できない貿易品目になった。大幅な輸入超過だ。このようなデジタル敗戦の中でも、公的分野のデジタル化は遅々として進まない象徴だった。しかし、行政や医療と違って、コロナ以降はGIGAスクール構想の進展により、教育のデジタル化は一気に進んだ。
石戸先生はプログラミング教育の普及、デジタル教科書の導入をけん引してきた研究者であり、教育情報化の20年を語るにふさわしいイノベーターだ。近年は、AIの教育への導入について、様々な分野の研究者と対談されてきた。
20世紀型教育の変化と、これからの時代の教育×テクノロジーについて、石戸先生から多角的かつ総合的にお話しいただく。
聞き手=菊池 尚人 慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科 特任教授
教育にAIを使わないという選択肢はない
菊池 石戸さんが幹事を務めている一般社団法人 超教育協会[1]では、2023年に「AIと教育」に関するオンラインシンポジウムを多数開催するなど、様々な有識者とのディスカッション[2]を重ねています。その活動から、どのような「気づき」がありましたか。
石戸 奈々子 武慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科、教授
石戸 端的に言うと、「AIを使わないという選択肢はない」ということです。
過去を振り返れば、テクノロジーの普及は常に社会を大きく変えてきました。それに伴って、個々人に求められる「新しい社会を生き抜くための力」というものも変容し、その力を育むための「新しい学びの環境」を模索することが求められ、それが教育環境の進化につながってきました。
しかし、デジタル化という社会の変化に日本の教育はうまく追随することができませんでした。デジタル政策フォーラムが「デジタル敗戦国、日本 そこから立ち上がるために 今、必要な政策を問う」[3]という厳しいメッセージを発しているように、これまで日本のデジタル利活用は世界に後れを取っていました。今、全世界が注目している生成AIは、産業革命に匹敵するほどの変化を社会に及ぼすものだと言われています。当然のことながら教育への影響も極めて大きいと思われます。AIがデジタルの二の舞にならないように、危機感をもって取り組まなければならないと思います。
私たちは、2002年にNPO法人CANVAS[4]を設立し、デジタルを活用した創造的な学びの場づくりを産官学連携で推進しています。子供たちへのプログラミング教育は初期段階から取り組んできました。また、2010年設立の一般社団法人デジタル教科書教材協議会、それを拡大発展させた一般社団法人 超教育協会の活動を通して、1人1台コンピュータ環境の整備、デジタル教科書の推進、プログラミング教育の必修化などの政策提言を行い、「教育における情報通信(ICT)の利活用促進をめざす議員連盟(超党派教育ICT議連)」とも連携し法制度化を後押ししてきました。政策提言と現場実践を交互に行き来しながら、IT教育のインフラ整備と先端的なAI・IoT教育の開発促進に取り組んでいます。
1人1台コンピュータは多くの方々の熱意と努力が実り、実現に至りました。その次に私が実現したいと考えているのは「1人1台家庭教師ロボット」の導入です。ドラえもんのような家庭教師ロボットが、いつも子供たちに寄り添い、子供たちの興味や学習進度に合わせて適切に導いてくれる未来[5]が到来するのはまだまだ先のことですが、生成AIの登場によって「パーソナル家庭教師」の機能は現実になろうとしています。
子供たちの疑問に対してAIがリアルタイムで回答してくれる。答えを教えるのではなく、「こんなふうに考えてみようか」と言ってコーチングしてくれる。親や先生を超えた多角的な視点から意見を言ってくれる――。生成AIが、子供の専属家庭教師の役割を果たす日はそう遠くないと思います。AI家庭教師によって、世界中の知、時空を超えた知と対話しながら学習できる環境が整備されていくことに、教育の未来を感じます。教育が根本的に変わっていく予感がします。
ただし、そのための議論を深めていかなければなりません。オックスフォード大学のCarl Benedikt FreyとMichael A. Osborneが『The Future of Employment(雇用の未来)』[6]を著したのは2013年でした。「デジタル化によって、10年後には今ある仕事の半分が無くなる」という分析に世界中の人々が衝撃を受け、教育分野でも様々な議論が巻き起こりました。「正解を速く出すことを競う偏差値教育から脱却し、個別最適化された学習環境を提供すべき」「多様な人たちと協働しながら新しい価値を創り出すことを目指した学習機会を増やすべき」「座学よりも体験学習が大切」「教科横断型の探究学習を開発しよう」――といったことが語られ、先生や学校をアップデートすることが提案されました。
ところが、10年の時を経て再燃している教育議論の中身は、10年前からほとんど変わっていません。生成AIの登場が、以前から指摘された論点を再び浮き彫りにしたというのが実情です。教育改革のネジが巻きなおされたという印象です。
変えなければならないという意識があまりにも希薄
菊池 日本のデジタル教育、AI教育のネジを巻いていくうえで、参考にすべきお手本は国外にありますか。
石戸 参考にすべきは「過去の日本」ではないかと思います。日本をデジタル敗戦国にしてしまった要因を明らかにして、その轍を踏まないということが一番大切なのではないでしょうか。
今後、デジタル化がさらに進み、誰もがAIを使う時代になっていくことは自明の利です。プログラミングの必修化を訴えるにあたって、私たちは「読み・書き・プログラミング」という言い方をしました。かつては「読み・書き・算盤」でしたが、デジタル時代においては全ての人が基礎教養としてプログラミングを理解し、使えるようになるべきだという考え方に基づいています。今後は「AIを使いこなせること」が必須です。全ての人がAIを使えるようになる環境をしっかりと整備すべきだと思います。超教育協会は2023年3月に、3つの利活用促進策を骨子とする「教育におけるAI利用促進の提言」[7]を発出しました。
(1)全授業でAIを利用する。
(2)AIを利用する入試の導入を促進する。
(3)AI教科書・教材を開発する。
思い切って利活用を促進することが大切です。日本のデジタル構想の先駆けとなった「e-Japan戦略」が打ち出されたのは2000年のことでした。「5年以内に世界最先端のIT国家になる」とか、「数年以内に全ての行政手続きをネットで可能にする」とか、派手な目標が掲げられましたが、新型コロナウイルス禍で人々の生活が一変したのを機に、特に教育現場の至る所にファクス、ハンコ、紙、黒板、チョークといった昔ながらの手法が残っていて、DX(Digital Transformation)どころかデジタル化すら進んでいないことが露呈しました。文科省の2023年調査では業務にファクスを使用している学校が96%もありました[8]。
頑張って取り組んだけれども目標に及ばなかった、ということでは全くありませんでした。そもそも、「変えなければいけない」という意識があまりにも希薄で、本気で変えようという気がなかったのだと思います。過去のやり方に適合した社会構造が頑強で、新しい技術を入れようともしなかった。目先の「変わるリスク」を恐れるあまり、もっと大きな「変わらないリスク」に気づくことができなかった。「デジタル敗戦」という言葉は強烈ですが、その悲惨な現実を直視しなければ、またもや何も変わらないでしょう。デジタル化もAI利活用も、単に新しい技術を使うということではなく、新しい時代の社会構造を創り出していくことなのだという意識変革が、まず必要だと思います。
「デジタル教育のユニバーサルサービス」が次の課題
菊池 2021年度に始まった「GIGAスクール構想」によって、「1人1台端末」「高速大容量の通信ネットワーク」の整備がかなり進みました。現状の評価と今後の展望はいかがでしょうか。
石戸 結果的に、コロナ禍が1人1台端末の環境整備を強力に後押しして、一気に世界トップレベルに躍り出ました。デジタル教育関係の対応は諸外国と比べて決して迅速だったとは言えませんが、いざ導入することが政策的に決断されるや、極めて短期間のうちに、全国津々浦々まで、一定以上の水準でしっかり導入が進むというのは、紛れもなく日本の強みです。また、端末の更新コストが課題として残っていると言われてきましたが、国の予算で都道府県に基金が設けられ、端末更新の心配をすることなく使い続けることができるようになりました。あまり前例のない、思い切った施策です。導入から持続させるための方策まで、関係者の皆さんのご尽力のおかげです。素晴らしいことだと思います。
ここから先は、整備された環境をいかに活用して教育成果に結びつけていくかという段階になりますが、私は楽観的に考えています。工業社会において、日本の公教育は世界最高レベルにありました。公的支出が必ずしも多くない中で、現場の先生たちがとても優秀で、教育熱心で、創意工夫を重ねてきました。最近は教育現場のブラックな労働環境に対する批判もありますが、それも含めてICTやAIの活用によって効率化、改善することができると思っています。
例えば、文部科学省選定の「生成AIパイロット校」[9]では素晴らしい授業が行われています。そうした現場の底力を目の当たりにすると、日本がデジタル教育/AI教育で世界最先端を走ることも夢ではないと期待が膨らみます。1人1台端末が行き渡ったことで、全国各地から挑戦的な取り組みが出てくると思います。そうした教育現場の取り組みを、産官学すべてでしっかり支えることも大切です。
残る課題の一つに、家庭でのデジタル環境の整備があります。コロナ禍のとき、オンライン授業がなかなか進まなかった理由の一つに、家庭のネット格差がありました。平均すると各地域5%ぐらいの家庭にネット接続環境が無く、「誰一人取り残さない」ために「みんなやらない」という状況が発生し大きな議論になりました。全国4万の学校を繋ぐことから、全国900万人強の子供たち(小・中学生)をどう繋ぐかという「デジタル教育のユニバーサルサービス」の整備へと、政策対応の焦点が移りつつあります。
もう一つの課題は、生成AIへの向き合い方です。冒頭でもお話ししましたが、今問われているのは生成AIを使うか使わないかではなく、生成AIを使うことによって教育をどう変えていくのか、デジタル時代/AI時代の教育はどうあるべきかです。この軸をブレさせてはいけません。
1人1台端末、デジタル教科書、プログラミング必修化の実現が概ね見えてきた2018年に、31の業界団体の集まりとして結成されたのが超教育協会です。目指すのは、世界にキャッチアップすることではなく、世界最先端の教育環境を作ること。AI、ブロックチェーン、Society5.0といった先端の技術やコンセプトをどんどん取り入れて、日本の教育を抜本的に変えることがミッションです。
AIが教科横断の超個別学習を実現する。カリキュラムの再編成が求められ、検定や学習指導要領の内容どころか存在すら問い直すことになる。ブロックチェーンを使って学習履歴を記録することが当たり前になれば、真冬の一発入試よりもはるかに公正に学習到達度を測ることができる。入試そのもののあり方が問われる。そうすると、学年の縛りは必要なのか、ある特定の学校に通い続けることが適正なのか、学校という枠を超えた学習環境がデザインできるのではないか。デジタル前に作られた学校制度は作り直すべきではないのか。デジタル技術を駆使することによって、学習者を主体とした学習システムのデザインが実現できるのではないか――。
私たちの発想は、これまでの常識の縛りから解放され、大胆に広がっています。生成AIの普及によっていよいよ具体的に動き始めるフェーズに入ると思っています。
2010年が変曲点だった
菊池 生成AIによって、いよいよ教育DXが始まるということですね。その伏線のようなものは過去にあったのでしょうか。
石戸 2000年頃のデジタルの黎明期に「パソコン」「ネット」「コンテンツ」が普及し、それを教育現場に導入することを目標としたのが2010年頃でした。その頃には世界はさらに先に進んでいて、「スマホ」「クラウド」「SNS」になっていました。10年がかりでなんとか追いついたと思ったら、世界の焦点は「AI」「ブロックチェーン」「Web3」「ロボット」に移っていました。教育に関してはずっと後追いという構図が続いています。
ただ、2020年がGIGAスクール構想やプログラミング教育必修化がスタートしエポックメイキングな年となったように、2010年も教育×デジタルという点からは大きな転換期だったと感じます。2010年は、私達が本格的にデジタル教科書導入の社会運動を始めた年であり、日本政府が初めて「2020年までに1人1台端末を持って学習する環境を整備する」ことを目標として掲げた年です。
その頃に新しいデバイスが一斉に登場しました。AppleのiPad(同2010年)のようなタブレット、AmazonのKindle(同2012年)のような電子書籍リーダーなどが、立て続けに市場に出てきました。そして、子供たちと保護者の様子も明らかに変わったのです。コンピュータが人間にすごく近づいた。タッチパネル式の端末をお母さんや小さな子供が普通に使っている。タッチパネルではないテレビ画面を子供たちがタッチしようとしたりして・・・。プログラミング教育に対する理解もそのタイミングで急に広がりました。コンピュータというと四角くて大きくて難しいものだったのが、スマホやタブレット、電子書籍になって親と子の生活圏に一気に入り込んできた感覚でした。教育DXの伏線というよりも、最初の接点、変曲点だったと言ったほうがよいかもしれません。
デジタル社会づくりは全員参加型で
菊池 ずばり伺います。もし石戸さんがデジタル大臣だったら、どのようなデジタル政策を実行しますか。
石戸 誰もが、デジタル技術の恩恵を存分に享受できる環境を整えることに尽きると思います。放置していたらデジタルデバイドが拡大してしまったように、無策のままではAIデバイドがこれまで以上の深刻な格差を生んでしまう恐れがあります。
そして、特定の限られた誰かが知らない所で作るのではなく、新しい技術を多くの人が使いこなし、全員参加型で、アジャイルに新しい社会づくりに取り組んでいく。リスクをうまくコントロールしながら、トライ&エラーを繰り返し、どんどんアップデートしていく。そうしたナレッジとマインドセットを持ったデジタルキッズを育てていきたいと思います。私にとって、それがデジタル政策の理想形です。
菊池 全員参加型のデジタル社会づくり、ぜひ実現したいですね。共に頑張りましょう。
【対談を終えて】
一般の人々のAIへの認識や利用は、まだまだ十分には進んでいない。1980年代にAppleがMacintoshを発売した時のフレーズが、Computer for the rest of us だった。残された我々のためのコンピュータ。Computer をAIに変えれば、AI for the rest of us になる。残された我々のためのAI。これこそが、今後の世界が求める欲求だろう。
そして、the rest of us に向けて橋渡しができる社会基盤こそが教育だ。そんな思いを石戸先生のお話しを伺い、強くした。
面白いのは、「for the rest of us =残された我々のために」を叫んで、この四半世紀に活動を広げてきたのが、先進各国のポピュリズム政治だったということだ。イギリスのEU離脱(ブレグジット)、フランス、ドイツ、イタリアなどの排外主義、そしてアメリカのトランプ旋風。そのすべてが分断によって経済的に取り残された人々の怒りが発端である。分断にしろAIにしろ、解決の糸口は「for the rest of us =残された我々のため」の自由で創造的な教育ではないだろうか。(菊池)
<参考情報>
[1] 超教育協会 ホームページ
https://lot.or.jp/
[2] 超教育協会 活動報告
https://lot.or.jp/project/
[3] デジタル政策フォーラム ホームページ
https://www.digitalpolicyforum.jp/
[4] NPO法人CANVAS ホームページ
https://canvas.ws/
[5] 「20xx年の教育」コンセプトムービー
https://lot.or.jp/report/2011/
[6] “THE FUTURE OF EMPLOYMENT: HOW SUSCEPTIBLE ARE JOBS TO COMPUTERISATION?”、Carl Benedikt Frey and Michael A. Osborne‡、September 17, 2013
https://www.oxfordmartin.ox.ac.uk/downloads/academic/The_Future_of_Employment.pdf
[7] 「教育におけるAI利用促進の提言」、超教育協会、2023年3月
https://lot.or.jp/project/10762/
[8] 「学校のデジタル化進まず「業務にFAXを使用」9割以上に」、NHK、2023年12月
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231227/k10014301611000.html
[9] リーディングDXスクール 生成AIパイロット校、文部科学省
https://leadingdxschool.mext.go.jp/ai_school/