第8章 分散型事業モデルの可能性
慶應義塾大学 総合政策学部 教授
1982年東京大学経済学部卒。日本電信電話公社入社。92年ハーバード・ビジネ ス・スクール経営学博士。93年慶應義塾大学大学院経営管理研究科助教授。 2000年同教授。2003年同大学環境情報学部教授などを経て、09年総合政策学 部長。2005年から2009年までSFC研究所長も務める。2013年より慶應義塾常任理事に就任(2021年5月27日任期満了)。 主な著書に「オープン・アーキテ クチャ戦略」(ダイヤモンド社、1999)、 「ソーシャルな資本主義」(日本経済新聞社、2013年)、「サイバー文明論」(日本経済新聞出版、2022年)がある。
■ この章の問題意識 ■
デジタルのインパクトを分析するためには、代表的なサービスやデバイスの変化や普及を認識するにとどまらず、デジタルがどのように経済や社会のシステムを変えてきたのか、また変えつつあるのかを広く認識する必要がある。
國領先生は2022年に『サイバー文明論 持ち寄り経済圏のガバナンス』を刊行されており、歴史的かつ俯瞰的にサイバー文明を認識されているとともに、官民協力型のデジタルIDである「めぶくID」をイノベーターとして地域で展開されている。マクロとミクロの両方の視点から、自律・分散・協調を理念に進展してきたネット社会を2024年の視座から俯瞰し、デジタルエコノミーやサイバー文明の未来を展望する。
聞き手=菊池 尚人 慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科 特任教授
「利用者主権」が失われた10年
菊池 國領先生はデジタル庁で開催された「Web3.0研究会」[1]の座長を務められました。そこでの問題意識を含め、ネット社会の変化をどのように認識されていますか。
國領 Web3や暗号通貨については一時期の熱狂的ブームがやや落ち着いて、“通常運転モード”に移ったかなと感じています。
本質的なのは、研究会が立ち上げられた2022年頃に、なぜWeb3や暗号通貨があれだけ高い関心を集めたのかという点です。その底流には、GAFAが全てのデータをコントロールしていることに対する抵抗感があり、一方で国家に全部集中させるようなことに対する拒絶感もあり、そのどちらでもない「分散型」の仕組みへの期待感が膨らんだのだと思います。実際、ブロックチェーンを使ったソリューション、ブロックチェーンを使わない分散型のソリューションなど、いろいろなものが出てきていて、最近は「自己主権型アイデンティティ(SSI : Self-Sovereign Identity)」が注目を浴びるなど、具体的なソリューションを模索する動きが広がっています。
國領 二郎 慶應義塾大学 総合政策学部 教授
実は、僕自身、反省があって・・・。25年前の1999年に『オープンアーキテクチャ戦略』(ダイヤモンド社刊)という本を書きました。お陰様でいろんな方に読んでいただいたのですが、先行きについて大きく読み間違えたのが利用者主権についてでした。当時は様々な検索エンジンが登場し始めた頃です。消費者側の情報察知能力が高まれば、消費者と企業のパワーバランスが変わるのが当然であり、エンパワーされた消費者がより良いサービスを求めてサーチすることによって選択権を獲得し、利用者主権のプル型経済になっていくだろう――と予測しました。
しかし、それは大間違いでした。本を書いた後に、ターゲットマーケティングという新手のビジネスモデルが出てきたことによって、完全にサプライサイド優位のネット社会になってしまいました。『オープンアーキテクチャ戦略』では的確な分析と予測も少なくなかったと自負しているのですが、かなり重大なところで外してしまいました。昨今、利用者主権を取り戻そうという運動論が高まってきているので、大きな揺り戻しを起こせれば10年後には事態が好転しているかもしれません。
AIが人間の認知限界を超えた時、あらゆる構造物の設計が変わる
菊池 國領先生は2022年に『サイバー文明論 持ち寄り経済圏のガバナンス』[2]を上梓されましたが、昨今大きな注目を集めているAI(人工知能)の発達はサイバー文明の未来をどのように左右するでしょうか。
國領 認知科学の権威であるハーバート・サイモン[3]式の考え方に倣えば、人間の「認知限界」がAIによって大幅に突破されることになれば、世の中のあらゆる構造物の設計が変わる潜在的な可能性が表出していることを意味しているのです。簡単に言えば、何がどう変わってもおかしくないということ(笑)。
この世の中の人工物、アーティファクト(artifact)の設計、デザイン、構造というもの全て、結局のところ人間の認知限界によって決定づけられています。逆に言えば、認知限界を超えるものを人間には作れない。ものすごく大きくて複雑なものを作るときも、全要素間の相互依存性を全て認識して設計・構築することはできないので、認識可能な程度の塊に分け、塊と塊を組み合わせるようにして処理していくわけです。例えば霞が関の官庁が、縦割り批判を浴びながらも省・局・部・課に細分化されているのも人間の認知限界に起因しています。
学問もそうです。いろいろな学部や学科に分かれ、高度ではあるけれども狭い領域に研究者の多くが入り込んでいくような状況がありますが、これも人間の認知限界の一つの現れと言えます。AIがその限界を超えてくると、学問体系は土台から再構築されてしまうかもしれません。
さらに進めば、国家の構造や体制にも影響が及ぶでしょう。そういう意味では、サイバー文明の未来像というのは予測不能というか、我々の認知限界を超えたところにあるのかもしれません。
菊池 なるほど。サイバー文明論については後ほどさらに深堀させていただくとして、手触り感のある直近の動きに話を戻したいと思います。國領先生が参画されている群馬県前橋市での新しい地域社会モデル「めぶく。」[4]についてお聞きしたいと思います。「めぶくID」[5]というユーザー主権型の個人情報管理システムを基盤として共助型未来都市を目指すということなのですが、先生ご自身はどのような思いで取り組まれているのですか。
めぶくIDとは?
マイナンバーカードをトラストアンカー(電子的認証の基点)とした本人確認を実施した上で、スマートフォン上に実装される官民協力型デジタルID。群馬県前橋市において、産官学金の連携によって推進されている。最大の特徴は、利用者が自身の個人情報を、どの事業者・サービスに提供するか選択することを可能とする「自己主権型」の個人情報管理モデルを採用していること。本人の同意に基づいて市民・民間・公的サービスとつながる安心・安全な仕組みによって共助型未来都市「デジタルグリーンシティ」の実現を目指している。
「持ち寄り型」データ共有社会の実装に挑戦中
國領 私が理想と考える「街」の姿に近いものが前橋に作られようとしていて、これからの10年くらい自分もそこに飛び込んで、全力で頑張ってみたいなと思いました。
そのプロジェクトの底流にあるのが「めぶく。」というビジョンです。前橋をこれからどんな街にしていきたいのか、行政と企業、市民が議論に議論を重ねて辿りついた結論で、海外のコンサルティング会社が「Maebashi = Where good things grow」と分析した英語の結論を、糸井重里さんが日本語で「めぶく。」と表現しました。ボディコピーには、地元の皆さんの静かなる決意が込められています。
「芽吹く」って、人をエンパワーメントすることだと思うんです。そして、一人ひとりがバラバラではなくて「共助」することによって前に進むという考え方。人口減少の引き潮が来ても皆で知恵を出し合って協力して、新しい社会を創っていこう。そういう「柱」を最初にしっかり立てたところが、いいなって思っています。
その柱が最初にあって、ではそれを実現するためのシステム基盤としてはどういうものが必要なのか。市民それぞれが必要とする最適な価値を提供・享受するためには「個人情報」と「提供価値」のマッチングを行う必要があります。しかし、巨大プラットフォーマーに吸い上げられて、どこでどう使われているのかも分からない、もしかしたら使われたくないことに使われたり、悪用されたりしているかもしれない、ということでは困る。ならば、個人情報がしっかりと守られ、事業者や用途を選択できるような「自己主権型」の仕組みを作ろう――。そういう順番で考えられているところが、強いなと思っています。
「めぶく。」ビジョン
めぶく。
Where good things grow.
その芽は、まだ小さい。
風に吹かれ、雨を待ち、太陽の熱さにその身をあずける。
そしていつか、枝をつけ、葉を繁らせ、
強く太い幹となる日を夢見ている。
人は芽だ。この地は芽だ。そしてつながりは芽だ。
いまは幼い芽だけれど、未来の大樹を隠し持つ芽だ。
Where good things grow.
この地ではじまる、芽ぐみ。
ここから、よきものが伸びてゆく。
いくつもの芽が育ち、やがては大きな森をつくっていくだろう。
Where good things grow.
わたしたちは、この地の芽吹きのために、
未来に希望の森を見るために、
厳しくも優しい風になろう。
慈しみの雨になろう。
そして、なによりも熱い太陽になろう。
Where good things grow.
きっと、芽吹く。
前橋の大地の下にはたくさんの種が 、そのときを待っている。
國領 もう一つは、地域共同体だからこそ生成・維持することができる「トラスト」というものを前提にして、「持ち寄り型」データ共有社会の実装に挑戦しようとしているところに魅かれました。それは、私が『サイバー文明論』で提示したサイバー文明の基本要素だったからです。利用者本人の意向を極力反映できるような自己主権型のテクノロジー、データの管理・運用を安心して任せられる組織、全体として忠実義務(Fiduciary Responsibility≒信頼)を果たせるガバナンス構造――。それを実現できるのは、国という大きな単位ではなく、やはり地域社会というコミュニティベースではないかと思います。
トラストを確保するため、前橋市と地元の金融機関・民間企業が共同出資して運営会社「めぶくグラウンド株式会社」が設立されました。システム全体の設計、サービス連携、IDの管理を全般的に請け負っています。地元の金融機関が入ることが運営資金の裏付けとなります。「めぶく。」ビジョンを推進する自治体と地元企業が入って、適正な運営を約束しています。さらに、適切に運営されているかを監視・監督する「データガバナンス委員会」を設置しています。私は、データガバナンス委員会の委員長をやらせてもらっています。この委員会は取締役会と同列に位置付けられ、めぶくグラウンドの取締役2名と外部からの5名の構成で独立性を担保し、データ提供者の「意思」と「利益」を守ります。
このくらい一所懸命にやって初めて「トラスト」が醸成され、利用者の皆さんに「自分のデータを預けても大丈夫だな」という安心感を持っていただける。コミュニティの皆さんがそれぞれのデータを持ち寄ることによって、その地域のために本当に役立つサービスが提供され、より良い街づくりのために活かされる――。私が理想と考える「持ち寄り経済圏」の原型が前橋にあるのです。
めぶくグラウンド株式会社「データガバナンス委員会」の趣旨文
データガバナンス委員会は共助による豊かで人に優しい社会の構築に向けて、データを持ち寄って下さる個人、行政、企業、団体の意思と利益を守ることを使命とする。データ利用者と提供者の利害や意思が相反する場合は、データ提供者の利益を優先させる運用を会社に徹底させる。この原則下にデータの持ち寄りを促進して社会的、経済的な利得を拡大させることを志し、その果実を市民、事業者や地域プラットフォームを含むステークホルダーで適正に分け合うことを保障する。データガバナンスにもステークホルダーの参加をあおぐことで以上の実現をはかる。
菊池 「適切なコミュニティの範囲」というものがあるのでしょうね。独立して、ポツポツできて、必要に応じて連携するというのが、緩やかさをもった新しいデジタル社会のあり方なのかなと感じました。
國領 そうですね。「めぶくID」を基盤としたサービス連携では、サービス提供者が主導権をもつ「オプトアウト」ではなく、利用者が主導権をもつ「オプトイン」にこだわっています。さらに、サービスごとにいつでも個人情報の提供をオン・オフでき、個人情報のどこまでを開示するかまで細かく選択できる「ダイナミックオプトイン」の仕組みを実装していきます。
ただ、あまりにも設定が細かいのも利用者にとって面倒かもしれません。サービスが一定の基準を満たしていればオプトアウトを認めるなどの柔軟性を持たせるようなことも視野に入れていますが、トラストがしっかり確立するまではオプトインでいく方向です。
「権利」「所有」 VS 「共助」「利他」
菊池 デジタル社会には「共助」「利他」の精神が必要だと、先生は以前からおっしゃってこられました。めぶくIDには、共助や利他の精神が働くようなインセンティブをどのように組み込んでいかれるのでしょうか。
國領 『サイバー文明論』では、情報技術の発達に伴って、人やモノすべてのトレーサビリティ(追跡可能性)が高まり、近代工業が生み出した「大量生産品の排他的所有権を匿名の大衆に市場で販売(金銭と交換)するモデル」から「モノやサービスから得られる便益へのアクセス(利用)権を、登録された継続ユーザーのニーズに合わせて付与するモデル」への移行が進むという分析を示しました。その結果として、個人(法人)の「交換」をベースとした市場経済に代わり、個人が社会に「貢献」し、その対価を社会から受け取る「持ち寄り経済圏」が台頭すると表現しました。
そして、個人主義に基づいた「権利」「所有」という西洋的考え方が社会的価値のあるデータの共同利用の妨げになっているのではないか、「共助」「利他」という東洋的考え方を取り入れることがサイバー文明への転換には必要なのではないか、という論点を提起しました。それは、巨大デジタル・プラットフォーマーによる情報寡占へのアンチテーゼでもあります。
では、安心・安全を前提として、個人が社会のために喜んでデータを提供しようというインセンティブをどのように設定するか――。明快な答えはまだありません。めぶくID上で試行錯誤を重ねていくことになります。まずは、前橋市の電子地域通貨事業として「めぶくpay」という仕組みを立ち上げ、商店街での電子決済、自治体給付金の受け取り、ポイント付与などから始めています。それを基盤に、例えばボランティア活動に参加したときにNFT(Non-Fungible Token、非代替性トークン)がもらえるといったインセンティブ付与は分かりやすいと思います。
インセンティブについては、個人的な利得だけに依存してコミュニティ感覚が失われることも警戒しないといけません。純粋に共助や利他主義に基づいた地域への貢献をどのように評価し、報いるかという根本的なところから検討が必要です。これは、実際にやってみないと分からないところもあるので、実践と修正を繰り返していくことになると思います。
菊池 地方都市には、共助みたいなものが緩やかながらまだ残っていますよね。人口流動性が高い大都市よりも、コミュニティ基盤が残っている地方都市の方が共助のインセンティブをデザインしやすいように感じました。
國領 その通りです。前橋に行くことにしたのは、「ひょっとするとそこに答えがあるかもしれない」と思ったからです。じっと待っていれば、いつか東京発次世代モデルが出てくるのかもしれませんが、それでは面白くない。地域発次世代モデルを同じ志を持つ人たちとわいわい一緒になって創ってみたいなと。
サイバー社会の「トラスト」をいかに確保するか
菊池 まさに、サイバー社会の理論を実践に移すためのテストベッドでもあるのですね。先生の新しい挑戦を応援しております。
話をその先にあるサイバー文明論に戻させてください。近代工業文明からサイバー文明への変化の本質とは何なのか、どのように俯瞰すればよいでしょうか。
國領 先ほども触れましたが、近代工業文明というのは、「大量生産品の排他的所有権を匿名の大衆に市場で販売、すなわち金銭と交換する」という経済モデルで発展しました。これを駆動したのがエネルギー革命と科学革命で、生産システムの大規模化が進み、大量生産が可能になります。一方、化石燃料を使った交通手段の発達によって商圏が拡大し、大量販売が可能になりました。これによって、経済成長のスピードがさらに高まりました。「大量生産」された商品を「大きな商圏」で誰だか分からない「匿名の大衆」に販売するという形態が、近代工業文明の本質だったのです。
それに合わせて民法や商法などの法体系も整備されていきました。特に重要なのは、近代西洋哲学の根幹をなす個人主義も相まって排他的な「所有権」の考え方が確立されたことです。
地縁や血縁などの関係性がなく、一度取引をしたら二度と会わないかもしれない「赤の他人」の間で取引を成立させるためには、渡した商品がどこに行っても良いように完全な権利を渡す必要があり、その場で対価を受け取る必要があります。物々交換では現場で需給が合致するとは限らないので、貨幣が普遍的な交換媒体として使われるようになりました。
ところが、見知らぬ他人同士が取引するのですから、そもそも「信頼関係(トラスト)」というものがありません。これを補い、匿名取引を可能にするための手法が、商品のパッケージ化やブランドマークをつけて売るといった販売形態でした。そして、ラジオとテレビが登場すると、マスメディアによる広告が信頼形成の主流になっていきます。洗剤会社がスポンサーとなったラジオ劇「ソープオペラ」が初期の典型例です。
このような近代工業文明の論理を、全く特性の異なるデジタル経済に惰性で当てはめようとしたため様々な問題が生じているというのが現状です。矛盾は三つの形で表出しています。
第一に、情報は社会的に共有することで大きな価値を生み出しますが、排他的な「所有権」の考え方と合わなくなっていること。
第二に、より多くの情報を集めた事業者の市場支配力がどんどん大きくなって「データ独占体」が生まれやすくなっていること。ネットワーク外部性とゼロマージナルコストというデジタルの特性からデータビジネスの粗利率は非常に高くなり、社会的格差を生む根源となりつつあります。
第三に、集積された情報によって人々が監視(surveillance)され、操作(manipulation)され、搾取(exploitation)される危険性が高まっていること。
これらの矛盾は、近代工業文明が依拠してきた「物財」の延長の制度設計ではもはや解消できないように思います。生成AIへの対応ひとつとっても、どこかぎくしゃくしていて、すっきりしないものが残るのは、我々の認知限界が工業文明レベルで止まっているからです。デジタル文明の入り口に立ったところで、古くなった社会制度やそれを支える哲学にまでさかのぼって考え、デジタル時代に適したものに根本から見直す必要があると思います。
今、経済の現象として起きているのは、ビジネスモデルが「所有権交換モデル」から「アクセス権付与モデル」に変化しつつあるということです。「サブスクリプション化(定額使い放題)」をはじめ、「XaaS」と呼ばれる「サービス化」、売るのではなく貸し出す「シェアリング化」といった流れも全てアクセス権付与モデルが広がってきた現れと理解できます。デジタルによる「トレーサビリティ(追跡可能性)」が高まったことで、所有権交換モデルしか選択肢がないという制約から解放されたのです。
究極的には「所有権交換経済」から「持ち寄り経済」への転換というテーマが浮かび上がってきます。トレーサビリティが低く、モノが不足している時代には、自分専用のモノを所有することの意味が大きかったし、経済はその専有権の交換を行う市場を軸に動いていました。そこでは「多くの人に買ってもらう=売上の最大化」がビジネスの成功指標でした。トレーサビリティが高まり、供給力が大きくなると「多くの人に使ってもらう=資産収益率の最大化」が成功指標になってきます。
特に「データ」は個々の人間が自分の手元にバラバラに持っているのではなく、持ち寄ったときに大きな価値を生み出す性質があります。とするならば、データを持っている主体が持ち寄って協力して価値を高めた上で、その果実を分かち合うことに合理性があると思うのです。私は、これを「社会に貢献し、社会から報いられる経済」と表現しています。
ジレンマに陥ったデジタル民主主義
菊池 近代工業文明が西洋文明を下敷きにして発達したとすれば、サイバー文明は、中国、ロシア、グローバルサウスといった欧米以外の国々の台頭によってどのような影響を受けるのでしょうか。
國領 西洋的な近代工業文明モデルも、今、ギシギシと音を立てて傾きかけていますよね。格差の拡大が社会の限界を超えつつあるからだと思います。アメリカの社会科学者リチャード・フロリダが唱えた「クリエイティブ・クラス」は近代工業文明の「次」の推進力について分析したものでしたが、結局のところ、一部のソフトウェアを書いた人たちがどんどん儲かり、それ以外の人たちは職を失うという構造を追認しただけでした。「分厚いミドルクラスに支えられた豊かな社会」という近代工業モデルが崩壊したにもかかわらず、先ほども申し上げたように、哲学も制度も行動も昔のままなのですから社会が混乱するのも当然と言えば当然なのです。政治にしても答えを持ち合わせていないので、民主主義も揺れ動き、衆愚政治に陥っていくわけです。「もしトラ」が騒がれていますが、トランプ云々に限ったことではなく、特に近代工業文明をリードしてきた西側諸国が直面している問題だと思います。
西側の悩みが深いだけに、相対的に中国、ロシア、グローバルサウスの陣営が存在感を高めているように見えるのではないでしょうか。格差と分断が拡大する一方の西側の道を辿るよりも、中国やロシアのような権威主義の方がグローバルサウスにはウケが良いのかもしれません。
デジタル分野だけを見ても、西側では巨大プラットフォーム事業者が大きな影響力を持ち、世論操作の道具を提供してしまったり、広告収入を求めて極端な言動を煽ったり、情報の優劣よりも「関心」を引くことを価値とする「アテンション・エコノミー」を生み出す温床となっています。ところが、プラットフォーム事業者に対して不適切なコンテンツのコントロールを求めても「言論の自由」の壁にぶつかって前に進みません。デジタル民主主義はジレンマに陥っているのです。
これに対して中国は、私企業によるプラットフォーム運営を厳しく管理し、国家利益と合致させようとしています。国家が一方的、強制的に個人のデータを収集することには反対ですが、西側が民主主義のジレンマに陥って身動きが取れない間に、中国は国家統制型のデータ利活用を加速させているという皮肉な構図が生まれています。
西側モデルは行き詰まり、かといって中国モデルは断じて受け入れがたい。ではどうするかという私なりの結論が「持ち寄り経済」なのです。奪い合うことを競争する経済から与え合うことを競争する経済に転換し、多く与えた人ほど報われる社会を目指すべきだと思います。その仮説を、前橋の「めぶく。」というフィールドで検証しながら、サイバー文明をデザインするための手法を追究していくつもりです。
菊池 文明の転換点にあって、哲学の部分から考え尽くすべきだという先生のご意見に全面的に賛同します。ありがとうございました。
【対談を終えて】
インターネットは商用化から30年以上が経過して、世界を包み込んだ。それに匹敵する大変化をAIはこれからの3年でもたらすだろう。しかも、その変化は巨大なグローバルプラットフォームから降ってくる。インターネットのように草の根(グラスルーツ)から広がるのでなく、マイクロソフトやグーグルなどの時価総額100兆円という国家予算規模のプラットフォーマーがAI開発の主役である。インターネットは下からの革命だったが、AIは上からの革命。その展開も影響も大きく異なる。
人類が文字を発明して、文明が始まってから5000年が経つ。活版印刷が登場して、文字が普及して、近代が始まってから500年が過ぎた。コンピュータを通じて文字を処理する情報社会が到来して50年が過ぎた。ちなみに、男性の識字率が50%を超えると市民革命が起こり、女性の識字率が50%を超えると出生率が低下し始めるという。
人間以外の知能であるAIが文字を操るようになる時代が始まった。情報社会の転換ではなく、近代の転換でもなく、5000年に及ぶ文明の転換が起ころうとしている。特定の職が失われることなどが問題の本質ではない。人間ではすぐには到底たどり着かない答えを瞬時に導き出すこと、そして答えをどうやって導き出したのか分からないことがあること、國領先生が語られた「AIが人間の認知を超えること」こそが本質的な問題である。(菊池)
<参考情報>
[1] https://www.digital.go.jp/councils/web3/
[2] 『サイバー文明論 持ち寄り経済圏のガバナンス』、2022年、日本経済新聞出版刊
https://amzn.asia/d/eY4g0qD
[3] 「ハーバート・サイモン:義塾を訪れた外国人」、2017年、三田評論
https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/foreign-visitors/201706-1.html
[4] 前橋ビジョン「めぶく。」
https://www.city.maebashi.gunma.jp/soshiki/seisaku/seisakusuishin/gyomu/7/2990.html
[5] 安心・安全なデジタルID「めぶくID」
https://www.city.maebashi.gunma.jp/soshiki/seisaku/mirainomesozo/gyomu/6/35547.html